以前庭師さんに、「この木は育ちが良すぎるから、生け垣としては手入れが大変だよね」との言葉通り、
春から秋にかけて、毎週ぐらいカットしないと保てないぐらいな旺盛な成長っぷりです。
ゴールデンウィークに重い腰を上げてカット作業をしました。
作業中、これって組織の悪い風土ができていく過程に似ているなと思いました。
約20年前に植えたシラカシは、丈は1.5倍、厚みは3倍以上になっています。
なぜこうなったかというと、
切る時に『せっかく伸びた枝だから、あんまり切り過ぎるのもかわいそう』『生け垣だから、スカスカになって庭が丸見えになるのは嫌だな』と表面の形を整えるぐらいにしてしまったからなのです。
毎年何センチ伸びるか正確なところはわかりませんが、
例えば、10センチ伸びるとして、10センチづつカットすれば同じ形をキープできますよね。
それを、5センチづつしかカットしなければ、毎年5センチづつ伸びていく。
と、こういうことです。
茂りすぎると、風通しが悪くなって病気になりがちと庭師さんから聞いたのは、厚みが2倍ぐらいになった頃。
そして、丈はある程度で常に切り揃えないと、ドンドン幹が太く成長し続けるとも言われました。
しかし、その頃には厚みを薄くしようにも、丈をツメようにも伸びた枝は太くなり、切りづらい。
しかも中の方は日が当たらないので、葉が無いのです。そこで切ると、葉のほとんどない生け垣になってしまいます。
結局、上っ面だけカットしてオシマイ。
それが積み重なって、
毎年少しづつ丈が高くなり、厚みも増していき、手入れがしにくい生け垣が出来上がったわけです。
これを組織で見てみます。
最初小さな方向性の違う行動をする人がいるとします。
その頃は『小さなことだから』『大勢に影響ない』ぐらいで見逃されます。
そのうち、その小さな行動が規制事実となって、そこから活動が伸びていきます。
枝も太くなっていきます。
その頃には、『あれ、これおかしいな』と思った人が出てきます。
『ちょっと修正する必要があるな』と考えて、『表面の目立つ部分の修正』を行います。
すると、見た目にはキレイになりますよね。
しかし、根本的には修正していないので、またそこから別のものが伸びていく。
これが繰り返され、いつの間にかその組織の風土となって、修正しようにも、無理!という状態になってしまいます。
方向性の違いに気づいたら、小さな内にどうするか考える必要があります。
伸びてしまうと枝分かれして、幹も太くなって、修正するのは大きな改革が必要という事態になります。
手入れのしにくい生け垣を眺めながら、そんなことを感じました。